鍛冶屋の赤熊がダンジョン研究所のスカピンと協力して(大方サララの力を借りて)出来上がる筈だった『観光用ダンジョン』。
 何を間違えたか(原因は掘りすぎだとハッキリしているが)『ダンジョン風温泉』になってしまったが、本来の目的である「遊び半分でダンジョンに潜ってしまう一般客を減らすこと」は達成出来たため、徒労にはならなくて良かったとサララは心底思っていた。

 さすがに、「サララの湯」などという名前を温泉に付けられた時には顔から火が出るかと思ったが、慣れてしまえば固有名詞ではなく単なる名詞だ。気にしすぎは良くない。
 お風呂嫌いのチョコはうんざりしていたが、協力者特権でいつでも無料で温泉に入れるのも嬉しい話だ。
 ダンジョンや街を奔走した甲斐はあったというもの、サララは満足していた。

 「サララの湯」オープンの翌日、商店会本部にて会長・ガメッツから『それ』を渡される時までは。

 笑顔、ひきつってたよ。
 後にチョコは辛辣な口調で、そんな感想を述べるだろう。その未来がありありと想像出来るほど、顔が引きつっていることは自覚していた。一応笑顔を保っているだけでも、褒めてもらいたいくらいだ。
「なん……ですか、これ」
「何って、見れば判るだろう?」
 いつものむっつり顔にどこか嬉しげな笑みを湛えて、ガメッツは『それ』をサララに差し出した。

 ペンだこやら何やらでごつごつした大きな手の中に、『それ』は捕えられていた。手の中にあるとか、そういうレベルじゃない。これは、捕まっているとしか表現しようがない。
「よく出来ているだろう? 知り合いの造型師が作ったものなんだ」
「は、はぁ……」
 差し出されたら受け取らねばなるまい。
 渋々手を差し出し『それ』を受け取る。柔らかな色合いからは意外なほどの重みと固さが、ずしりと手の平に響いた。
「サララの湯オープン記念に乗じて、一商売しようと思ってね。なかなか名案だろう?」
『……本人の意思はまったく無視なところが、商魂逞しいって言うかなんて言うか……』
 声も出ないサララの代わりに、チョコが小さく呟く。その声はサララ以外には、つまり目の前のガメッツには単なる猫の鳴き声にしか聞こえない。言葉の随所に棘が見られる事が多いチョコだが、こんな時はありがたいものだ。
「これ……売るんですか?」
「限定20体、もう温泉の番台に並んでいるだろうさ。それはサララ用のさ。他の型抜した量産品と違って、特別なオリジナルタイプだよ」
 にっこりと笑うガメッツに、サララも釣られたように笑顔を浮かべる。が、やはりそれは引きつったままだ。

 ありがとうございます、と小声の礼を口の中でもごもごさせながら、サララは自分の手の中にある『それ』をもう一度まじまじと見つめた。
 どう見ても、ミニチュアの自分である。
 両手にポンと収まるくらいの大きさで、材質は人形に詳しくないサララには判らなかったが、見た目より遥かに丈夫そうだ。
 桃色の長髪に、オレンジのリボンがアクセントになった緑色のとんがり帽子。白いエプロンが映えるドレス――どこをどう見ても自分である。妙に上手く出来ているのが更に複雑な気持ちに拍車をかける。

 確かに、節目は商機。街で唯一の温泉がオープンともなれば、これを逃しては商人とは言えないだろう。
 仮にも商売人であるサララだって、それくらいの事は判る。だが、だからと言って何で自分の人形なのか。
『……「サララの湯」だからじゃないの。キャラクターグッズ的な扱いで』
 サララの悲痛な心の声に、律儀にもチョコが判りきった答えを返してくれる。やはり、この相棒猫は辛辣だ。

 とりあえず、くれるというものは遠慮せずに貰っておきたいところだが、こんなものを貰ったところで置いて飾っておくわけにもいかないし、扱いが難しい。
 似たような人形を20体も作ったというところだが、果たして自分がモデルの人形が売れるのかというのも大いに疑問だ。売れ残ったら勝手にモデルにされた自分が惨めになるだろうという事は考えなかったのかと、前髪の奥で珍しくサララはガメッツを睨んだ。
「売れるんでしょうか……私なんかがモデルで……」
「おぉい、ガメッツ! おや、サララさんも一緒かね」
 気弱にサララが呟いたと同時に、威勢のいい声が商店会本部に飛び込んでくる。
 ガメッツとサララが同時に振り向けば、そこには急いで走ってきたらしい、高潮した顔の赤熊が立っていた。
「おお、サララさんも記念に貰ったのかね。たった今人形は完売したよ。関連商品として用意した香水もなくなりそうじゃ。ガメッツ、用意は出来てるかね」
「売れたんですかコレ!?」
「そうかそうか、赤熊ジイさんちょっと待っとくれ。ワシも売り場に向かうとするよ」
「助かるわい。正直、ワシとサラマンダーだけでは手が回らんくてのぅ」
 かかか、と豪快に笑いながら御の字を報告する赤熊と、嬉しそうに商品を用意するガメッツ。
 サララの、つい出てしまった本音が上手い具合に流されたのは良かったが、もうすっかり蚊帳の外だ。

『……もう帰ろうよ、サララ。これ以上いたら、絶対手伝わされちゃうよ』
「……そうね」
 うんざりして言うチョコに小さく頷いて、サララは忙しそうな赤熊とガメッツに一礼すると、そそくさとその場を後にする。
 行き場に困る事は間違いない人形はエプロンのポケットの中に突っ込んで隠しながら、チョコとふたりで並んで歩く帰路、既に夕日が西の空を染めていた。

『笑顔、ひきつってたよ』
「……言われると思った」
 店に帰るなり開店の準備を始めた主人を半目で見遣って言う使い魔に、サララは肩を竦めて返した。
カーテンを開け、Closeの札をOpenに変える。窓の外はすっかり暗い。少々後ろ暗いものを目玉商品にしておこうと、サララは血塗られた剣などをせっせとショーウインドウに並べた。

 問題の人形は、カウンターの上に置き去りだ。
 帰ってきて屋根裏に行く暇もなく、ひとまずそこに置いたらしいのだが、忘れていやしないかとチョコは主人の後姿を見守った。
 魔物の血の鮮度を確かめているらしいサララは真剣そのもので、チョコの予想だと笑顔を引きつらせる自分そっくりな人形は完璧に忘れ去られているに違いない。
 勘定のため、大方のお客様が目にするカウンターに自分の人形を置くなんて、どれだけ自己主張が激しいのかと思われるだろう。
 いいのかなぁ、と良いわけがないと知っていながら、チョコは何も言わずにカウンターの上に丸まった。隣には例の人形。猫のチョコの目から見ても、なかなか上手く出来ていると思う。

 ショーウインドウに商品が並んだところで、カランと鐘の音が店内に響いた。同時に「いらっしゃいませー」と愛想よくサララが振り返る。
「邪魔するぞ」
 低く静かな声と共に、扉をすり抜けるようにして入ってきたのは魔王候補生である、片翼の魔族・アイオンだった。
 夜の部の営業では、一番のお得意様だ。武器や鎧など戦いのための道具や、魔族にとっては薬になる毒などをよく買っていく。
 それだけ、彼の住む世界は過酷で厳しいのだろう。いつもは仄かにする血の匂いが、今日はしない事に気がついてサララは心の中で首を傾げた。今日はアイオンには珍しく、平和な一日だったのだろうか。

 アイオンはサララの傍らに立ち、血塗られた剣を一瞥した。前に剣を買ってから大分経っているから、そろそろ買い替え時だろうか。
「武器をご所望ですか? お手にとってご覧下さいませ」
「いや。今日は武器を買いに来たのではないんだ」
 サララの問いかけを短く否定して、アイオンは言葉を続けた。
「せっかく地上に来たからな。地上でしか見られないものをくれ」
「地上でしか見られないもの、ですか」
 意外な注文に考え込むサララを尻目に、アイオンはふらりと店内を見回した。ショーウインドウには呪われた武器に魔物の血、アイオンにとって珍しいものなどはない。

 サララが何かあったかと頭の中の在庫リストをめくっている間に、アイオンは何かを見つけたらしい。
 ふと視線を上げ、そのまま真っ直ぐにカウンターに向かう。足音に気付いたチョコが目を開けてアイオンを見上げるが、彼はそれに構わず、チョコの横にある『それ』を手にした。
「あ……」
『あーあ』
 サララとチョコの呟きが、店内にむなしくこだまする。
 しまった、とサララが思ってももう遅い。アイオンは手にした『それ』――例の人形を、興味深げにまじまじと見つめていた。

「あ、アイオンさん、あの、それ、その……!」
「これは何だ?」
 気恥ずかしさと居た堪れなさで泡を食って慌てふためくサララを気にした様子もなく、いつも通り淡々とアイオンが尋ねる。
 何だと言われると困るが、温泉だのオープン記念だのと言ったところで、アイオンが知りたい事の答えになるとは思えない。
「あの、それは……人形です」
 散々悩んだ挙句に、サララはそれだけを何とか絞り出した。
「ニンギョウ? ヒトガタみたいなものか?」
「そ、そうですね。地上では、インテリアなんかに使われるもので……」
「そうか」
 しどろもどろのサララの答えに、アイオンは満足したようだ。納得したように頷いて、手にした人形をカウンターに置く。
「おい、サララ。これを貰おう」
「はい……えええええ?!」
 コレですか?! と思わずカウンター上の人形とアイオンとを見比べてしまったサララを、アイオンが訝しげに見つめる。
「売り物じゃないのか?」
「いえ、そうじゃないっていうか何ていうかその……」
「……売りたくないのか?」
「いえっ、そういう訳では!」
 すぐにお包みしますねっ! と素早くカウンターに滑り込み、包装紙を用意する。
 あまりに唐突で不可解な出来事に胸はドキドキと煩いし、顔は熱いしで倒れそうだと言うのに、アイオンはと言えば涼しい顔でサララの手元をじっと見ている。
 そう言えば、武器は包装しないから、包装紙も珍しいのだろう。
 ふぅ、と小さく息を吐いて呼吸を整え、サララは人形を丁寧に(複雑な思いに駆られながら)ラッピングした。
 中身が可愛らしい色合いの人形とは言え、アイオンが持っていても違和感がないようにシンプルで控えめなラッピングだ。少々ミスマッチになってしまうが、色も青で抑え目にしておく。
「お待たせしました」
「……随分、奇妙な事をするんだな」
「こういうものは、地上ではこうして包装すると喜ばれるんです。せっかくですから」
「そうか」
 ラッピングされた人形を受け取って代金をサララに手渡すと、アイオンは静かに踵を返した。

 そのまま真っ直ぐに店の出口へと向かうアイオンの背中を見つめながら、サララは思わず口を開いた。
「あのっ、アイオンさん!」
 サララの呼びかけに、立ち止まったアイオンがゆっくりと振り向いた。
 静かな金と銀のヘテロクロミアが、無言で「なんだ?」と尋ねてくる。
「あの……どうして、それを選んだんですか?」
「オレたちの世界にはないものだからな」
 ヘンな事を聞く奴だ、とでも言いたげな顔をしながら、それでも律儀に答えると、アイオンはまたゆっくりと前を向き、今度こそ店を後にした。

『……サララ、顔赤いよ』
「だって、だって……」
『あのヒト、他意はないよ。「地上でしか見られないもの」を買って行った、ただそれだけだよ。気にするだけ損だってば』
「わ、わかってるってば!」

 どこか意味深なチョコの揶揄に思わず語気を強くした自分を叱咤するように、サララは自分の熱い頬をぺちぺちと両手で叩いた。
 次のお客さんが来ちゃうまでに、顔色を戻さないとヘンに思われちゃう。
 サララのそんな切なる願いとは裏腹に、一度高まったこの熱は簡単には下がりそうもない。
 夜故に煌々と照らされた店内を恨めしく思いながら、サララは窓の外に広がる闇夜に思いを馳せた。

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