僕らには帰る『家』がある。

「たっだいまぁ~!!」

 玄関口の方向から響いてくる甲高いガキ共の声。
 何でオレがこんな事をって言う気持ちと、ほんの少しだけ、無事に帰って来た事に対する安堵感と。
自分で訳判んなくなるぐらい正反対の感情に包まれて、オレはフライパンを持った手首を返しながら「おかえり」と無愛想に、それだけ返す。
 本当は嬉しくて堪らないくせに、我ながら素直じゃない。
 毎回自分の「おかえり」に込もってしまう甘ったるさに、柄じゃねぇやとオレは一人首を振る。

だけどその家に父さんはいない。

 パタパタと廊下を走る足音は近付いて来ると共に歓声に変わる。

「アキラ兄ちゃんッ、今日のおやつ何ー?」

 そんな問いの形を取った催促の言葉が自分の背中に投げかけられるのを待って、オレは嫌々振り向いて意地悪に微笑んで言ってみる。

「タイヤキ」
「えぇー?! またぁっ?!」

 案の定返されるのは不満げな声と膨れた顔。
 堪え切れなくてクックッと低く笑う。
 そうして次の瞬間にはこの小うるさいガキ共を安心させるために、オレはフライパンを掲げてみせる。

もちろん母さんの姿もない。

「冗談だよ、今ホットケーキ焼いてるだろ」
「今日はホットケーキなんだ?」
「見りゃわかるだろ?」

 嬉しそうに確認を取るガキの額に、軽くでこピンを食らわせて。
 オレは自分が自然と笑っているのを、台所に置かれた食器棚のガラスに教えて貰う。
 こういう時の自分は本当に幸せそうで、過去の『守られるだけのガキ』だったオレが見たらひがんだりして。
 そんな馬鹿な事すら考えられる。

だけど帰りを待ってくれる人がいるんだ。

「もうすぐ焼けるから、遊んで待ってな」
「うんっ、じゃあ僕ら、カオリちゃんに『報告』してくるねっ!」
「……あぁ、じゃあ後で持って行ってやるよ」

 病弱で、他のガキみたいに外で遊べない俺の妹。
 誰より外に出て遊びたいだろう妹のために、お節介なガキ共は一日あった事を『報告』する。
 ガキ共から聞いた外の世界を、カオリは夜寝る前に、嬉しそうにオレに話す。

「こんな事、お兄ちゃんは知ってるよね」

 オレは「そんな事ないよ」とだけ言って、出来る限り優しく笑って、話の先を目で促す。
 些細なお話で感動できるお前の痛みは、オレには判らない。
 少しでも痛みを判りたくて、オレは妹の話を聞く。
 その言葉の一つ一つに詰まった憧れや願望、そして痛みを聞き取りたくて。

「おかえり」って言ってくれる人がいるんだ。

 いっその事、苦痛を背負うのは全部俺で良かった。
 今、ベッドで布団を掛けたまま、窓の外に広がる空の青を眺めるだけの生活を送るのがオレだったら。他のガキ共と一緒に、カオリが外で遊べたなら。
 何もかも、押し付けてくれたって構わなかったのに。

 親父の死も、特異な能力も、自由を奪う鎖も、病気の苦しみも。

 オレはこの点だけ、神様に逆らいたいと思う。
 堕とすなら徹底的に堕として欲しかった。
 それで妹が幸せになれるなら、唯一の肉親が笑えるなら、オレはどうなったって構わなかったのに。

ときどき、叱られたりもするけれど。

 気が付くと噛んでいた唇から血の味が広がる。
 自嘲にも似た笑いを浮かべて、自身の牙で創られた紅の珠を手の甲で拭う。
 咥内に染みる鉄の苦さはいつだって、馬鹿馬鹿しい考えからオレを引っ張り上げてくれる。
 独りで悩む必要なんてない。
 カオリに笑顔をくれたのは、無邪気にはしゃぐここのガキどもだ。
 ここに来て初めて、元気は分け与えれるんだと知った。
 それを教えてくれたのも、普段はうるさいだけのガキども。
 本人達に言う気はないけど、オレはずいぶんとお前らに助けられてるよ?

 おやつが目的でも、何でも……お前らがオレを必要としてくれるから。

 ……なんてな。本ッ当に柄じゃねぇや。
 思わず泣き笑いの顔をしながら、オレはフライパンを傾けて、いい具合に焼けたホットケーキを皿に移す作業に入った。

やっぱり優しくて、僕らはその笑顔が見たくて。

 高く高く積み上げられたホットケーキの山。
 よくこんなに焼いたものだと、自分で作っておいて苦笑する。
 子供の数が間に合いそうにないぐらいの量だけど、大丈夫だよな、アイツらオレが作ったモン、残した事ないから。

 少々強引に確信して、オレはホットケーキの山を二つに分ける。
 大分低くなったホットケーキの山。
 その皿を両手に載せて、俺はカオリの寝室に向かう。廊下の窓から吹き抜けた風が、太陽の匂いを運んできた。

元気に「ただいま」って言えば笑ってくれる事に気付いて。

 そのポカポカした日差しが眩しくて、言いようもないぐらい暖かくて、思わず立ち止まって窓枠いっぱいに広がった青空を見上げた。
 廊下の奥から、楽しそうな子供の喧騒。
 小さな冒険を身振り手振りで話す様子がありありと浮かんで、オレも染まったモンだと思う。

 アイツらはおやつを待ってる事だろうし、そろそろ行くかと青空から目を逸らして足を進める。

 オレの足音に気付いたのか、一瞬部屋から漏れ出す話し声が嘘のように静まった。

だから僕らは笑って「ただいま」を言って部屋に転がり込む。

「出来たぞ」
 わざと低めの声を出して部屋の扉をガラッと開ける。
 途端にまとわり付いてくるガキ共を引き摺って、オレは部屋の奥のベッドの上で微笑む妹の所まで歩く。
 ベッドの脇に置かれたサイドテーブルに二つの皿を置いて、引き出しから人数分の小皿を取り出すと半ば投げ渡すようにガキに配り、妹に手渡す。
 オレの前に整列して、小皿を差し出しておやつを催促する子供。
 出された皿にホットケーキを乗せていきながら、何やってんだろうと再度思う。

 まぁこれが、オレの幸せではあるんだろう。
 叶う筈もない夢だから、絶対態度に出す訳にはいかないけれど、オレはこの家でいつまでも暮らせたら、と思ってる。

僕らはいつだって、ココに帰ってくるんだ。

そこに家があるから?

違うよ。
そこに大切な人たちがいるから、さ。

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